今日も犬に負けた

そういえば明日は地球最後の日だから犬に負けないように生きな

他人の幸せの方が、自分が幸せになる不思議



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毎日が楽しくて幸せだと、だんだんとそれが普通になってきます。

そんな時、昔の辛く苦労した時代を思い出すと、今はまるで夢のようにも感じます。

でも、それを思い出すことで、もはや普通のこととなってしまった今の幸せを、改めてて、「幸せなんだなあ」と実感することができます。

 

幸せや楽しさに、段階・レベルのようなものがあるのか?

でも、長く生きてきて、幸せ感というのも「頭打ち」かなあと思う時があります。

もう今以上に「幸せ」ってこともないでしょうって思うんです。

 

だって、今は昔と違って、何でも手に入ります。

生活とかも不便なこともあまりないですしね。

 

もちろん、仕事をがんばれば、もっとぜいたくな暮らしができるかもしれません。

でも、これからもっと努力して今以上に幸せな感情を味わうってモチベーションは無いんですよね。

贅沢とか物欲では、もう、今より高いレベルの幸福感って得られないよなあって思うのです。

それって今の延長にすぎないよなって思うのです。

 

「お笑い」も子供の頃以上に笑えるものがない

例えば、「笑い」とかで考えてみましょう。

子供の頃、ドリフターズのコントが大人気で、お腹を抱えて苦しくなるほど笑った記憶があります。

漫才やコントは今ほどテレビで放送されておらず、年末年始の漫才は本当に貴重な時間で、ものすごく笑った記憶があります。

でも今、そこまで笑える漫才やコントってあまりないんです。

年齢のせいだと思うんですが、少なくとも笑い過ぎて涙が出るなんてことは、まったくないですねえ。

その上の面白さを求めようと思っているわけではありませんが、人間の感情というのは、年を取るとフラットになっていくのかなあと思ったりもします。

 

ブログ書いてて思ったこと

ふとしたことからブログを再び本格的に始めようって思ったんですが。

このブログの最初の方の記事は、過去10年間、アメブロ楽天などで書いてたブログをいくつかまとめて持ってきたものです。

全部持ってこれませんが、気になったものだけ集めました。

でも、嬉しいことに昔の記事なのに何人か見てくれる人もいるんですよね。

 

もちろん、ほとんどの記事は最近書いた新しい記事なんですが、たまーにアクセスがすごく増える時があって驚きます。

そうすると、また読んでくれる人がいるかもしれないと思って、また記事を書きたくなるんですよね。

あー、これだったのかなと、ちょっと思い出したんです。

誰かが喜ぶ、誰かのためになるようなことをする、それが、さらに上をいく幸福感の源泉なんだよなあと。

 

他人の幸せの方が、自分が幸せになるという不思議な現象

自分の為に、自分が幸せだって思えるようなことをする。

 

例えば、車を買うとか。

おいしいディナーを食べに行くとか。

旅行に行って景色を見るとか。

 

でも、これらすべて、ある一定の幸福感はあるんですが、なんというか、ものすごく突き抜けた感情は無いんですよ。

子供の頃みたいに、おもちゃを買ってもらって、ものすごく喜ぶとか。

そこから、イマイチ発展・成長してないんですよ。

感情が。

 

でも、他人が幸せになる、喜ぶってのは、その上をいっているんです。

たぶん、感情を数値化するマシンがあれば100%確実です。笑

 

これが本能だとしたら誰かがそれを破壊している

不思議ですけど、本当なんです。

この感情のレベル感の違いは自分だけではないはずです。

若い時は自分のことしか考えなかった人が、子の親になって子供が喜ぶことしか考えなくなったとか、そういうことってあると思います。

 

車を買っても隣に乗ってくれる人がいないとつまらないですし。

おいしいディナーも一緒に「おいしさ」を共有する人がいた方が良いですし。

旅行に行っても絶景はだれかと共有したいですよね。

だから、インスタとかで共有するわけで。

 

人間には本能として幸せを共有したいって思いがあるはずなんです。

誰かを喜ばせたいって思いが必ずあるはず。

 

なのに、なぜ、世界は平和にならないのか。

何が、人間の本能を遮っているんでしょうね。

それを壊していくことを自分はしていきたいですね。